明日へとつながるSoul

 

 高校三年生の時の文化祭で、関ジャニ∞の曲を流しながら書道パフォーマンスをしたことがある。私は当時書道部で、「どうにか関ジャニ∞の曲でやりたい」と書道部の仲間に熱弁したところ、優しい同級生たちはすぐに賛成してくれた。そして文化祭当日、「へそまがり」をバックにパフォーマンスを行うことが出来た。私にとって青春の思い出のひとつだ。
 それから一週間くらい経った日、お手洗いで手を洗っていると、隣にいた知らない女の子が突然、「あの……関ジャニ∞が好きな子だよね?」と声をかけてきた。全く話したこともない子だったから普通にびっくりして、咄嗟に返事が出来ずに固まっていると、その子は慌てたように「私、関ジャニ∞が好きなんだけど……」とわけを説明してくれた。文化祭で披露した書道パフォーマンスを見て、書道部の中にエイターがいるに違いない!と思って探してくれたのだという。それを聞いたとき、関ジャニ∞の力ってすごい!って感激した。そんな経験、それまでの私にはなかったから。それだけの原動力が関ジャニ∞にはあるんだ、という衝撃の瞬間でもあった。その子とは高校卒業以来会っていないけど、あの時話しかけてくれたことは今でも大切な思い出だ。


 それから一年後、初めて出来た大学の友達も関ジャニ∞がきっかけだった。というのも、大学入試の日、関ジャニ∞関連のグッズを持っている子がいたのだ。流石に入試の日には話しかけられなかったけれど、なぜだかそのことをとても鮮明に覚えていた。そして入学後に、同じゼミにその子がいるのに気がついた。それで、勝手に「運命かも!」と思うくらい嬉しくなったのを覚えている。その子とは今でも仲良くさせてもらっている。
 他にも、同級生のお母さん、別の趣味で知り合ったお姉さん、英会話伝言ゲームで日本語を勉強したという留学生など、とにかく意外なところでたくさんのエイターと出会った。そのたびに関ジャニ∞の持つ引力の凄まじさを実感したし、エイターはエイター同士ひかれあうんだな……ってしみじみ思った。

 

 高校二年生の冬に関ジャニ∞を好きになってから、もう五年以上が経つ。
 初めてライブDVDを見た日のこと、初めてアルバムを買った日のこと、初めてシングルを買った日のこと、初めてライブに行った日のこと……上げればキリがないくらいの思い出が、この五年間にはある。
 それと同時にこの五年間は、関ジャニ∞を通した意外な巡り合わせに驚いてばかりの五年間だったようにも思う。「関ジャニ∞」という名前が持つパワーはとにかく強くて、私を思いがけない人との繋がりに何度も導いてくれた。

 「関ジャニ∞」のおかげで繋がった人がいて、その出会いの積み重ねが私という人間を構成する要素のひとつになっていると断言出来る。なんというか、「好きの常態化」って感じだ。
 そんな、特別な思い入れがある「関ジャニ∞」という名前が変わることは、正直なところとても寂しい。

 ずっとこのままでいて欲しい。いくら前向きに考えようと思っても、どうしたって寂しいという気持ちに嘘はつけない。そう思うことは仕方のないことだし、無理して前を向くことが最適ではない。
 それに、その寂しいという感情こそが、私から関ジャニ∞への愛の裏付けでもあると私は知っている。

 

 関ジャニ∞のおかげで出来た経験があって、関ジャニ∞のおかげで出会えた人がいる。そういう、私の中に積み重なっている経験とか、広がった繋がりとか、そういうものすべてひっくるめて「関ジャニ∞」なんだと思う。というかそう思うようにしている。色んなものが変わっていくけど、私の中に蓄積された思い出たちは不可侵だから。


 これまでの「関ジャニ∞」の軌跡に感謝を、そして、新しい名前に最大限の祝福を贈る。それが私の出来る精一杯だ。

 これまでもこれからも、関ジャニ∞のことが大好き。