君たちが明日のヒカリだ

後輩育成、プロデュース業。

正直この件に関しては、エイトのオタクである私の立場からだと、どんなに言葉を選んでも文句を言っているようにしか聞こえないだろうなと思っているし、めちゃくちゃデリケートな話題なので、あんまり触れないでおこう……って目を逸らしてきた。でも、私自身が納得してエイトを応援していくために、一度言葉にしようと思う。

だからこれはあくまで、私が自分の気持ちの整理のために書く文章です。

 

1.プロデュース業について、当初の思い

私がエイトを好きになったのは高校生の時だった。それまでの私はジャニーズとは本当に縁遠い女で、少年漫画とライトノベルを読みながら、毎週の大河ドラマを楽しみにしていた。

それなのに何を間違ったのか(?)関ジャニ∞に興味を持って、悪あがきをしているうちにずるずる沼に浸かっていって、部屋にはどんどんCDやDVDが溜まってゆき、あれよあれよという間にファンクラブに入ってしまった。

それはもう衝撃的な出会いだったけど、もちろん関ジャニ∞を認識したのはもっと前のことだ。初めてエイトを知ったのは小学生の時だったと思う。私と同世代の人の多くがそうだったように、当時地上波でやっていた冠番組で初めてエイトの存在を知った。別にジャニーズに興味はなかったけど、そこで太鼓の達人やってた大倉さんのことを一番覚えている。というか正直に言うと大倉さんのことしか覚えていない。お茶の間ファンとすら言えないけど、毎週欠かさず見てたくらいには好きだった。

 

そんな大倉さんが後輩さんたちのプロデュースをしていると知った時、最初は純粋に、「自分のお仕事もあるのに、すごい!」と思ってた。アイドルについてほとんど無知だったから詳しいことは分からないけど、大倉さんや横山さんがやりたくてやってるなら応援したいと思ったし、別に疑問も抱かなかった。

ずっとそういう気持ちでいられたらよかったんだけど、色んな人の意見を目にしたり、プロデューサー業を全面に出した映像を目にしたりするうちに、言葉にできないモヤモヤがみぞおちに溜まっていくような感覚を覚え出した。

一番悲しかったのは、後輩さんたちに悪いことがあれば「プロデューサーの大倉くんのせい」という言葉を見かけた時。その時の私はジュニアを応援する人の気持ちなんて考えられなくて、後輩さんたちに良いことがあっても大倉さんを褒める声なんてほとんどないじゃん、そんな都合の良いことある?って思ってた。

もちろん、今はそんなふうに腹が立ったり悲観的になったりすることはない。大抵の場合、悪意ある言葉のほうが目立つものだし、当時の私が単に世間知らずだっただけだと思う。オタクの悲喜こもごもが濁流のように流れていくのがTwitterという場所であって、マイナスな意見だけを取り沙汰しても意味がない。オタク同士で争うとか本当に無益だから。

でももう時効かなと思って言うけど、あの時は、「文句があるなら、私たちの大倉さんを返してよ!」って思ってた。本当に本気で思ってた。言葉にするとめちゃくちゃ自己中心的で最低な言葉だな〜。この言葉に込められてるのって、「悲しい」でもあり「腹が立つ」でもあり、「寂しい」でもある。だって私が知ってる大倉さんは、関ジュのプロデューサーじゃなくて、エイトの末っ子の大倉さんだから。私は丸山担だけど当たり前みたいにメンバー全員が好きなので、なんて言うかメンバーは身内みたいな感覚でいる。だから、私の身内に何言っちゃってくれてんの? みたいな。いやもう、このへんのモヤモヤは言葉にすると急に悪意の輪郭がはっきりしてしまうので、あんまり言葉にしたくない。したくないけど、でも私はあの時、確かに嫌悪感を抱いたし、それを見なかったふりしてちゃ解決しないよね、とも思う。

 

2.18祭で感じたこと

まず私の視野は、当たり前だけど基本的にエイトを中心としている。だから出来るだけ5人を長く見ていたいし、5人が話題になると嬉しい。そしてここには明らかに「他のグループに比べて」っていう見えない枕詞がつくと思う。同じ関西グループと言えど他グループであることに変わりはないし、「関西」という色にエモさを全く感じないという訳ではないけど、まるっと愛せるほど懐が深い訳でもない。私の視界の中心にはエイトがいて、そこは絶対領域であり、周縁人物との間には越えられない壁が存在している。

でもおそらくエイトは、自身を「関西ジャニーズ」という総体の中に置いている時がある(ような気がする)。そうすると私の視界の中心にも、エイト以外の人たちがぽーんとやってくることがある。それは私サイドからすると、自分の中の越えられない壁が外側から突然壊されて、よく知らない周縁人物が不可侵領域に入ってきた!という緊急事態に当たる。だから普通にびっくりするし、警戒するし、てか誰?って思ってしまう。

だけど何のことはない、突然現れたように見えた彼らは、私の中心にいた人たちが壁の内側に招き入れた存在であって、突然やって来た侵略者ではなかったのだ。

 

……という理屈はもちろんわかってるんだよね。

当たり前の大前提として、後輩さんたちは何にも悪くない(勝手に騒いでるオタクが良くないんだ)。そんなことはもちろん理解していて、でも何だかすっきりしないから困っているんだ。

やっぱり私はエイト中心にしか見られないから、どうしても、後輩たちがエイトの活躍の場に侵出してきているように感じてしまう(はっきり言えば「奪われた」と感じることもあった、ごめん)。

自分たちが売れることだけを考えてるわけじゃないんだろうな、と感じることもあるし、その変化に対して素直に寂しいと思ってしまう自分もいる。わがままだって分かってるけどエイトには出来るだけ長く活動して欲しいし、そのためにはどうしても他と比較して高い数字が必要な時があると思うから。数字が全てじゃないことは踏まえた上で、それでも必要な時ってあると思う。

ここまでは、18祭に行くまでに感じていたこと。

 

そしてここからは、18祭に行って考えたこと。

結論から言うと、私は18祭に行って、後輩育成に力を入れる意味ってこういうことなのかな、って自分なりに落とし所を見つけられた。と思ってる。

18祭では、後輩の子たちがメインで踊る時間があったり、5人のトロッコの上に後輩の子が乗る時間もあった。それについては賛否両論あるんだろうけど、私は意外にも、納得の気持ちの方が大きかった。ああなるほど、後輩の育成っていうのは一方的な奉仕を意味するんじゃなくて、むしろ循環に近いのか、って。

(5人が歌ってる時にスクリーンのどこ見ても後輩さんしか映ってなかった問題は、さすがに何で!?!?ってなっちゃったけど……それはまた別問題だと思うので、一旦端に避けておきます)

エイトが視界の中心にある私からすると、エイトが一方的に後輩さんたちに尽くしているように見えてしまいがちなんだけど、実はそうでもないんだな、ということにやっと気づいたのだ。

例えば、後輩さんたちにとってエイトの現場でのパフォーマンスは新規のファンを増やす機会でもあると思うんだけど、私はずっとそれを、エイトのオタクの流出であるかのように捉えていた。後輩グループが可愛いことや魅力的なことは分かってるけど、それを前面に押し出されて、私はどうしたらいの?後輩グループを好きになって、エイトを離れちゃってもいいってこと?って思ってた(めんどくさい彼女か?)。

今にしてみれば、何でそんなに視界が狭くなっていたんだろう……と不思議に思う。だって、後輩さんたちをきっかけにエイトに興味を持ってくれたファンだってそれなりにいるはずなのに、それには全く目を向けてこなかったんだから。

つまりエイトが自分たちの現場に後輩さんたちを出演させるのは、奉仕ではなく相互作用ということだ。

関西というプラットフォームの構築は、後輩さんたちだけでなく、エイトにとっても長期的なメリットがある。だから、お互いに還元し合える場と流れを作っている、関西ジャニーズっていうひとつの大きな文化を盛り上げようとしている。

きっと、そうしていかないと乗り越えられない波がこれから来るんだろうし、もしかしたら、今まさにぶち当たってる壁があるのかもしれない。それに立ち向かうために、つまりはエイト自身に還元されるために、後輩育成は必須のものなんだと思う。というかそう思いたい。

 

5人が関ジャニ∞っていうグループとそのファンを大切にしていることは、今更不安に思う必要がないくらい伝わっている。だけど、グループに対しての気持ちと同じくらい、「関西であること」に特別な誇りや思い入れを抱いてることも、凄く伝わってくる。5人にとって大切な「関西」あるいは「関西ジャニーズ」という文化がこれからも末永く受け継がれていくためには、自分たちが売れるだけじゃ駄目だ、って考えてるんだろうな。というかむしろ、エイトがこれからも売れていくために、関西ジャニーズそのものが盛り上がっていく必要がある、と見るのが妥当かもしれない。

もちろん、正直なところ私はエイトに会いたいのであって、それ以外の人を見るために遠征してるわけじゃない。だから、ワガママだとは分かっていても、出来るだけ長くエイトを見ていたいな〜と思う。思ってしまう。そこを否定されたら、私がオタクやってる理由とは?ってなっちゃうから…………

だけど、そう感じる人がいることは把握していてもなお、そうしようと決めたのはきっとエイト自身なんだろう。そして、5人の総意で舵を切ったのなら、きっとそれがエイトにとっての最適解なんだろう。だったら、私はそれを見届けようと思うし、どうか正解になりますようにと祈ることしか出来ない。

 

 

3.クロ現を見て考えたこと

2ヶ月くらい前、大倉さんがアイドル兼プロデューサーとしてクローズアップ現代に出演していた。私、実はこの特集見るの凄く怖かった。プロデューサーとしての大倉さんを見て、がっかりしたり寂しくなったりしたら嫌だなと思っていたから。性根がオタクなので、推しのやることは可能な限り否定せずに応援していたい。でも夢は見ていたいので、裏方に回る推しの姿を見て、あることないこと想像して曇りたくもない。そういう葛藤があって、放送日までどこか心の隅っこに不安な気持ちがあった。

いざ視聴してみると、やっぱり平静ではいられなかったし、なんなら夜中に号泣した。

でも思ってたのと違って、寂しいとか悲しいとかの涙ではなかった。多分あれは「悔しい」に近かった。私はいつもエイトに一方的に助けられてばかりで、希望与えて貰ってばかりで、苦しい時には寄り添えなくて、どうしても無力だなって思って、それが悔しくて泣いてしまった。

8BEATの感想を綴ったブログで似たようなこと書いてたので、引用してみる。

 

「私は、関ジャニ∞さんが裏でしんどい思いしてるのを知らないまま楽しいことだけ共有させてもらうんじゃなくて、何年か経ったときに、あの時しんどかったね辛かったねって一緒に言い合いたいし、関ジャニ∞さんもそう思ってくれてるのかなあって、この公演を通して思った。」

(2022.5.17「絶望にへそ曲げて」)

 

ここで言ってることは全く本心だし、偽りない気持ちだし、今もそう思ってる。でもやっぱり、「あの時しんどかったね辛かったねって一緒に言い合いたい」というのは私のエゴだ。「推しのため」ではない。だって私はただのファンだから、アイドルの苦しみに一緒に立ち向かっているようでいて、その実いつだって彼らが本当に苦しい瞬間を真に支えることは出来ない。

推しの苦しみを知り、共に立ち向かったような気になれるのは、彼らがその苦しみを乗り越えた後、こちらに見せられる形に整えてお膳立てしてくれるからなんだよね。ファンって無力だ。しかも無力であるならまだしも、ファンの存在自体が推しを苦しめてることだってある。現に私は、彼らが目の前の壁を乗り越えようとして取り組んだプロデュース業にさえ、事情を知らないからあることないこと想像して、勝手に傷付いて、素直に応援することができなかった。5人はいつだってファンのことを第一に考えてくれているのに。アイドルとしての姿も、プロデューサーとしての姿も、どちらも「ファンのため」という気持ちが底にあるのなら、そのふたつに何の違いがあると言えるだろう。

 

4.現在の落とし所

なんか色々書いてきたけど、要はただ信じて応援することしか出来ないと思った、それだけだ。

これは一般論じゃない。私がうだうだ考えた末の落とし所だから、他の人もそう考えるべきだなんて1ミリも思わないし、他のグループに対しても同じように思えるかは微妙なところだ。盲目になってるだけかもしれないし、思考停止してるだけかもしれない。別に何も解決してないし、やっぱり違うと感じて、また向き合い方を変えることもあるかもしれない。

それでも今は、ただただ見届けたいなと思った。

アイドルとしての姿もプロデューサーとしての姿も、もちろんそれ以外のどんな姿でも。5人が見せたいと思った姿なら、ただ見届けたいと思う。それが良いとか悪いとかではない。別に「推しのため」とかでもない。私は私のために、エイトがやりたいことをこれからもやっていけるように、その姿を見届けようと思う。