傷だらけの僕らの物語

2020年末に書いたものをいまさら掲載してみます。

 

 

 

 

2020年になって間無しくらいの頃だったろうか。関ジャニのメンバーがホストを務める番組の1つ、そのVTRの中で、かつて関ジャニを応援していた女性が取材されたことが少し話題になった。あまり良くない意味で。その女性は元エイターで、今は別のグループを応援しているとのことだった。私は担降りや掛け持ちには特に負の感情を抱いていないので(というか他人がどんな応援の仕方をしようが本人に迷惑をかけさえしなければ私にはどうでもいい)、ふーんとしか思わなかった。本人が見るVTRなんだからもうちょっと考えた方がよかったんじゃないのかな、とは一瞬思ったけれど。

でも、その女性を批判する声が次々に上がっていることを程なくして知る。それは、「本人が見ると知っている取材で、敢えて下げるような理由で降りたことを伝えたから」だけではなくて、ただ単に「降りたこと自体」を批判する声もいくらか、それも少数ではない数が存在しているようだった。

私は、唖然としてしまった。

降りただけで、こんなに叩かれてしまうのか、と。正直、少しだけゾッとした。

私はこの時、「私たちの自担から降りるなんて許せない!」という全体的なムーブに対して明らかな不快感を抱いておきながら、「全く気持ちがわからない」とは思わなかった。というか、痛いほどに理解出来た。

もう一度言うが、私は担降りや掛け持ちを悪いことだとは思っていない。

なぜなら私は元々、あらゆるジャンルに、あらゆる界隈に、あらゆる作品にあっちゃこっちゃと推しを作っては侍らしてる(言い方)ようなオタクだから。

それなのにこの時期私は、珍しく「私は、関ジャニ以外に推しを作りません!」ってド真面目に思い詰めていたように思う。

当時の私は、「自分は他のグループを応援してはいけない」と本気で思っていた。他のグループを応援することは、関ジャニを裏切る行為であるような気がしていたからだ。ただのファンが何言ってんだと思う。だけどそれが笑えないくらいには、あの時の関ジャニのオタクたちはみんな疲弊していたように思う。その理由は今更腰を据えて説明する必要もないと思うけど、端的に言うなら、関ジャニ∞の体制がたった2年で目まぐるしく変わったからだ。

みんなで一致団結して、この未曾有の危機を乗り越える必要がある。そのためには、とにかく関ジャニだけを応援して、5人に安心してもらわなきゃいけない。そんな薄らとした連帯感があったような気がする。私のただの気のせい、じゃないと思う。

別にその連帯感を悪く言いたいわけじゃない。ただ、そのそこはかとない連帯感は生温かくて心地よくて、でもいつかは溺れ死んでしまうんじゃないかっていう息苦しさも、少しだけあった。今だから言えるんだけど。

他人が掛け持ちすること自体は何とも思わない反面、自分は絶対に掛け持ちをしてはいけない、って本気で思いながら、切羽詰まって死に物狂いで応援していたような、そんな気がする。そして当時の私はそれに嫌々従っていたとかではくて、むしろ「掛け持ちなんてしない」というのが、ファンである上での重要なアイデンティティのひとつであるかのように感じていた。何だかそれは、今思えば異常事態だったと思う。

「気がする」とか「思う」とかいう曖昧な言い方をするのは、あの時の私は、私であって私でなかったような気がしているからだ。その証拠に、あれだけ必死になって応援していたはずなのに、あの半年間のことはなんだかぼんやりとしか思い出せない。

 


さっきも言ったけれど、そもそも私はコンテンツを問わず推しが多い人間で、色々な作品、色々なジャンルに推しがいるのが当たり前だった。それなのにあの時は、「他のグループや他のジャンルに目移りしちゃいけない」みたいな決まりを作って、自分で自分の趣味活動をガンガン狭めていた。物心ついた頃から推しがいたような気がする(それは言い過ぎだけど)生来オタク気質の私としては、自分で自分のオタ活を窮屈にするような真似は、ほとんど初めてだった。一種の病気みたいなものだったのかもしれない。このマインドを他人に強要しなかっただけまだマシだったと思う。


そんな私の中での異常事態と並行して、某新型感染症の影響で生活が一変した。関ジャニももれなくその影響を被って、ライブも番組の収録も、満足に行うことが出来なくなった。私も、ご縁あって丸山さんの舞台『パラダイス』のチケットを手にしていたんだけど、それも全部先が見えないことになった。思っていた2020年とは全然違っていて、いつ終わりが来るんだか先の見えない世界は、「なんとかなるでしょ」と楽観し続けることも難しくさせた。

そんなコロナ禍で、ひたすら走り続けてきた関ジャニは1度、足を止めた。

足を、止めてくれた。

そんなふうにさえ思った。

 


関ジャニが「まだ売れたい」「まだ立ち止まれない」と言っているうちは私も振り返ってる場合じゃない!と思って必死に食らいついていたけれど、どこか息切れしていた自分がいたのかもしれない。

それまで関ジャニを応援していて、「イヤだな」とか「苦しいな」とか思ったことはほとんど無かったけど(無いとは言わない)、「置いていかれてる」と思うことは、正直あった。

そりゃアイドルなんだから、そもそもが私と一緒に併走してくれるような存在じゃないし、私はただのオーディエンスに過ぎない。

アイドルだって仕事なんだから、言えること言えないことあるに決まってる。

でも、本当は無理してるんじゃないの?っていう心配はいつも絶えなくて、俺らについてこい!と言ってがむしゃらに走る背中に、ただただ着いていくことしか出来なかった。すごく遠い存在だな、とも思っていた。いや、アイドルだから当たり前なんですけどね!

 


そんな関ジャニが、(ほぼ強制的にではあるが)ようやく足を止めてくれた。

 


正直に言う。

すごくほっとした。いつまでこのひとたち走り続けるんだ?って結構本気で心配してた私にとって(本人たちにとって不本意であることは重々承知した上で)、突然訪れた関ジャニの休息時間は、本当にありがたいと思った。

もちろんコロナには憤りの気持ちの方が強いんだけど、それはもう間違いないんだけど、でも、あの時無理にでも5人のガムシャラマラソンに休憩スポットを作ってくれたことだけは感謝してる。本当それだけですけどね!!

 


あの自粛期間、私は5人からたくさんの愛を貰った。それはもうたくさん、たっくさん。

いやもうこんなにいらないよ!もう持てないってば!逆にどうやってお返ししたらいいの?一生かけても返し切れないんじゃないの?そう思うくらい、重くて大きくてたくさんの愛を、関ジャニから受け取った。おはようからおやすみまで寄り添ってくれたり、一緒に歌を作ろうなんて言ってギターを持ち出してくれたり、リモート飲み会に招待してくれたり(?)。

関ジャニから愛されていると実感するたび、心の欠けた部分が少しずつ癒えていって、5人からの愛を取り零すことなく受け取ろうと精神が働いた。

ほぼ半年振りに、関ジャニに対する気持ちが外側ではなく、内側に向いた気がした。

 


ひとことで言うなら、関ジャニからの愛が私の体内で飽和した。

これ以上ないという程に、5人の愛だけでパンパンに心が満たされた。

 


着いてこい!って言われてる時は、もちろんそれはそれで楽しかったけど、その瞬間瞬間にメンバーひとりひとりがどんな表情してるかなんて、わかりっこなかった。それが今は、一緒に歩こう、って言ってもらってる気がする。

前みたいにガンガン突き進んでいこうぜ!みたいな行け行けドンドン精神ではなくて、一歩一歩踏み締めるような歩き方に変わったような。それでいて、5人の心の中で燃え続ける情熱は赤よりも熱く、青白い炎のようにめらめらと燃え滾っているようにも見える。

時には走ることもつまづくこともあるかもしれないけど、それも全部一緒にやりたい。やってくれる?って、そうやって歩み寄って、寄り添って、愛を確認しあって、足並み揃えるための期間が、この2020年だったのかもしれない。お互い愛し合ってることは何となく空気で感じていたけれど言葉にはしなかった恋人たちが、あえて本音を言葉にして伝えて愛を確かめ合うような、そんな時間が。

 


現金な話だと思うけど、ゆっくり関ジャニと語らう時間があったおかげで、過去の映像を見て心がチクッとしたり、心無い言葉に動揺したり、これからどう応援していけばいいんだろうなんて深刻にな悩んだりすることが、不思議なくらい、パタッと止んだ。

あの停滞期間で私は飽和するほどの愛を受け取り、自分って推しから愛されてるんだ!という自信をもりもり育んで、「他のグループに目移りしないことがファンとしてのアイデンティティ」なんていう状態から、するりと抜け出した。

関ジャニを、関ジャニだけを愛していなきゃ、なんて思い詰めていた状態から抜け出して、驚くほど心が楽になった。

 


そこからの復活は早かった。

興味があったグループや楽曲に積極的に触れるようになって、なんだかジャニーズという概念そのものも以前より深く愛せるようになったと思う。

エンタメにお金を使えることは、なんて幸せなことなんだろうと思えるようになった。

 

とんでもないことや初めてのばかりで、傷ついたり、途方に暮れたりした1年だったけど。

でもあの停滞期間があったことで、私はより関ジャニを好きになれたし、そのおかげで他の魅力的な人たちを愛することが出来るくらい、心に余裕ができた1年でもあった。

エンタメに助けられ続けた1年でもあった。

自軍は逆境に強い人たちなんだと実感したし、だからこそこれからはもっと愛されて、報われて、柔らかくてあったかい場所で生きて欲しいとも思う1年だった。

そして、これからもっともっと輝いて欲しいと思える星に出会えた1年でもあった。

 

散々だったことは変わらないけど、それでもみんな、楽しみや幸せや希望を見つけて生きようとしていたって意味で、きっと意味ある1年だったよね。

来年はもっと笑顔で満ちた一年になりますように。