溢れる思いは無限大!!
まずは!
SUPER EIGHTさん、二十祭完走&円盤発売本当におめでとうございます!
これでいつでも二十祭に浸ることができます。嬉し〜!
二十祭終幕から円盤発売まで、最初は果てしなく長いように思っていたけれど、過ぎてみれば思いのほかあっという間だったな〜というのが正直なところ。
でもこれは、絶え間なく何かしらのお仕事を見せてくれたおかげです。5人と、5人に関わる全ての人に感謝してもしきれない。いつも本当にありがとうございます。
せっかくエイトの日なので何か形に残したいと思い、二十祭とSUPER EIGHTにまつわる自分の感情を振り返ってみることにしました。
ブログ書くの久しぶりでうまく文章に出来ないと思うけど、率直な気持ちを備忘録がてら残せたらいいなと思います。
浪花いろは節、ありがとう
私は福岡両日に参加したんだけど、初日はとにかく横山さんが泣いていた記憶ばかり残っている。
横山さんが初っ端から号泣して浪花いろは節を歌えなくなっている姿を見た時、つられてこちらも涙が……みたいなことには、実は意外とならなかった。
ああ、横山さん、気持ちが溢れちゃったんだね、でも泣かないで、笑顔を見せてごらんよ……と思いました。愛おしかった。
その時は横山さんが泣いてることに気を取られて周りを見る余裕がなかったけど、丸山さんあんなに横山さんのこと見てたんだ。全然気が付かなかった。横山さんの感情が爆発してる時の丸山さんってなんかいいよね。独特の旨みがあります。
そんな浪花いろは節といえば、私は真っ先に十祭を思い出します。
あの、生まれて初めて見た者を親と思うみたいな話があるじゃないですか。
私は生まれて初めて見たライブDVDが十祭だったこともあって、歴代コンサート・ライブの中では十祭が頭1つ抜けて印象に残ってる。
中でも冒頭の浪花いろは節の衝撃がすごかった。「関ジャニ∞ってこんなかっこいい曲があるんだ!!!」て一気に引き込まれたから、後に浪花いろは節が珍しいデビュー曲としてネタに上がるのを知って素直にびっくりした。
十祭の、いかにもお祭り!って感じの始まりが本当に大好きで、二十祭がいろは節から始まっただけでグッとくるものがありました。
十祭の時とはまた少し趣向を変えてテクノポップ風のアレンジが効かせてあるのも、関ジャニ∞→SUPER EIGHTへの変遷を感じるようでとっても粋。
何かもう、袴姿の5人を見た時、咄嗟に、
「年明けだ!」
って思ったんですよ。年明け。
好きな男たちが豪華な衣装を身にまとい、浪花いろは節が流れる中天空から降りてくる様。
あまりにもめでたし。一生にそう何度も見られる光景ではない。
もう2024年に悔いがないので、もうこれで年明けということにして頂けないでしょうか……そんな感じのことをツイートした記憶があります。
十祭が浪花いろは節から始まったんだから、二十祭も同じ曲から始まるのは当然というか、然るべき手順を踏んだ美しい流れなんですけど、そうとわかっていてもやっぱり嬉しかった。
私はグレコンの年にエイトを好きになったんだけど、翌年の十五祭は異論事情が重なって断念して、周年ライブに参加するのは十八祭が初めてだった。
最初は、何でもっと早く好きにならなかったんだろう?って毎日のように思っていたし、今もたまに思うことがある。
そんなもん今更言ってもどうにもならないんですけど、まあ思わないでいられるほどエイトへの感情って淡白じゃないし。
そんなことをずーっと言い続けてきた、未練タラタラ後悔ありまくりの6年だった。
そんな後悔が、やっと成仏したような気がしました。
デビュー曲で登場する周年ライブを、この目で見られるなんて思わなかったなあ。
本当にありがとう。
あと、これは引きで客席を見て始めて感じたことだけど、ペンライトが多種多様なのもすごくいい。歩んできた歴史を感じる。
雑多といえば雑多なんだけど、どれも思い出があって、その雑多さを包み込むグループの懐の深さに私は惚れてるんだよなって、浪花いろは節の演出を見て改めて誇らしく思えました。
SUPER EIGHTって本当に誇らしい!
Noroshiで「関ジャニ∞」を背負ってるのに気がついたとき、率直に「あ、出すんだ」って思った。
そして炎とともにSUPER EIGHTの文字が映し出されて、あまりの覚悟に震えてしまった。
それを見てる最中は、お焚き上げみたいなことかな、とぼんやり思ってたけど、それもまた少し違う気がする。
どちらかというと不死鳥に近いのかも。
不死鳥って炎の中から生まれるじゃないですか。エイトってこれまで形も在り方も名前さえも変わってきたけど、そのたび不滅の炎に包まれながら私たちの前に現れてくれてたんだ……
「SUPER EIGHT」って名前を初めて聞いた時、正直「SUPERってなに!?!?」て思ってしまった。
面白!これからも応援するで!が8割、(ちゃんと世の中に浸透するのかな)の心配が2割。
今だから言えるけど、改名します!ってなった時、自分でもびっくりするくらい凹んだんですよね。
グループはこれからも続いていくし、話題にもなるし、何も暗いことはないはずなのに、5人になってからの期間で1番落ち込んだと思う。
名前変えるくらいで済んで良かったじゃん、とか。たかが名前じゃん、とか。
そんなひどい言葉を聞く度に、何も分かってない!!ってめちゃくちゃ腹が立って、どんどん心がすり減っていくような気がして。一時期は5人を見るのも少し辛いくらいだった。
今思えば何で?って感じだけど。
何より、「SUPER EIGHT」って名前を受け入れることは、改名させられた事実を許すことになってしまうんじゃないか、なんて思ってた。
だから、「SUPER EIGHT」って名前には何の罪もないのに、なかなか受け入れられずにいたんだよね。
でも今は、SUPER EIGHTにSUPERが付いててよかった〜!って疑いなく思える。
炎に包まれたSUPER EIGHTを見て、そうかこれって進化だったんだ!って今更理解できたんですよね。そして、ああ横山さんってやっぱり天才だったんだ……って……
あの不死鳥の復活のような演出を見て、
「ああ、関ジャニ∞はSUPER EIGHTになったんだなぁ」
って、自分でも意外なくらいすんなりと受け入れられた。
ライブ終盤の挨拶で大倉くんが
「関ジャニ∞という名前をきちんと成仏させてあげられていないような気がした」
「でもみんなと同じタイミングで改名を知るわけにいかないから」
というようなことを言っていて、ああ、やっぱりエイトには敵わないなと思った。
私よりずっとずっと長く「関ジャニ∞」という名前と付き合ってきた人たちなんだから、そりゃ悔しくないわけないよね。
すぐに前を向けるわけもないし、すぐ新しい名前を受け入れられるわけもない。
それでもファンを不安にさせないために、努めて明るく振舞ってくれていたんだ。
アイドルとしては当た前なのかもしれないけど、それを当たり前にできるからこうして今でも第一線で活躍してるわけで、それが社会人として格好いいと思った。
少なくとも私たちは、5人が「これはeighterに見せても大丈夫」と判断したものしか見ることが出来ない。
でもそれは、エイトにとっての活動の軸のひとつがeighterであることの証左で、ある意味とても幸福なことだし、これってたぶん愛なのだ。
誠実さの捉え方は人により様々とは思うけど、私は自分が誠実であろうという時必ずエイトを思い出す。
1人の社会人として、人間として、またファンとして、彼らの誠実さに何度も救われてきた。
こんなに誠実なグループを好きになれたことは、私の人生で誇れることの一つだと思う。
SUPER EIGHTと私の人生と
二十祭福岡公演が終わったあと、家まで帰る新幹線の中で、色んなことを思い出した。
きっかけは大河ドラマに出てる亮ちゃんを見たことだったなあとか、
高校で初めてのeighter友達が出来たこととか、
受験生だからって十五祭は諦めたこととか、
アイドルの亮ちゃんにはもう会えないんだってわかって大泣きしたこととか、
初めての一人暮らしでまるぬいを抱えて寝たこととか。
甘酸っぱかったり、しょっぱかったり、どれも大切な思い出だ。
エイトに出会ってから丸6年。
その間彼らは絶え間なく変化し続けてきたけど、私自身も色々と変化のある時間だった。
前向きに考えること。
辛くても笑っていること。
周りの人に感謝すること。
誰かの人生を自分のことのように愛してみること。
全部全部、この6年間でエイトから教わったことだった。
私はたぶん、彼らに出会ってから、ようやく自分の人生が始まったのだと思う。
「人生が始まった」とか言うとすごく大袈裟に聞こえるけど、大きな決断をしないといけない時や先が見えない時に、真っ先に思い出すのはエイトのことだった。
親のためじゃなくて自分の学びたいことのために進学しようと決断できたのはエイトのお陰だし、家族ときちんとコミュニケーションを取ろうと思うようになったのも、他人の人生に触れる仕事がしたいと思うようになったのもエイトのお陰だ。
私はこの人たちに出会っていなかったら、どうなっていただろう。
たぶん、他人のことも自分のことも、こんなに好きになれなかったんじゃないかな。
懸命に誠実であろうとしてくれる彼らを見ているうちに、誰かの一生懸命を応援したいと思うようになって、周りの人を大切にしたいと思うようになった。
そして初めて、同じくらい自分自身を尊重したいと思うようになった。
エイトに出会えてなかったら、とてもじゃないけどそんな考え方にはなれなかったかもしれない。
安田さんが最後の挨拶で、「俺は楽しくて涙が出る」と言っていて、私がエイトを好きでいる理由のいくつかはこの言葉に帰結するような気さえした。
私もこんなふうに生きてみたい。
こんなふうに心から言える人生でありたい。
心からそう思った。
そして、そんなふうに思える人生の北極星に出会い、今日まで好きでいられ続けたのは、私に、私たちにとってきっと必然だ。
思い返せば、エイトに出会ってから、私ってずっと私の人生に夢中だ。
他人を羨んだり嫉妬したりすることは勿論あるけど、誰かの人生に目移りしてる暇なんてないな、と今は思える。
生きるのが楽しい。もっと色んなことをしたいし、色んな人に会ってみたい。
そんな風に思えるようになったのは、間違いなく彼らのおかげだ。
この人生が、関ジャニ∞、そしてSUPER EIGHTと出会う人生でよかった。
「楽しくて涙が出る」って言葉を、いつか私も胸を張って言えますように。
明日へとつながるSoul
高校三年生の時の文化祭で、関ジャニ∞の曲を流しながら書道パフォーマンスをしたことがある。私は当時書道部で、「どうにか関ジャニ∞の曲でやりたい」と書道部の仲間に熱弁したところ、優しい同級生たちはすぐに賛成してくれた。そして文化祭当日、「へそまがり」をバックにパフォーマンスを行うことが出来た。私にとって青春の思い出のひとつだ。
それから一週間くらい経った日、お手洗いで手を洗っていると、隣にいた知らない女の子が突然、「あの……関ジャニ∞が好きな子だよね?」と声をかけてきた。全く話したこともない子だったから普通にびっくりして、咄嗟に返事が出来ずに固まっていると、その子は慌てたように「私、関ジャニ∞が好きなんだけど……」とわけを説明してくれた。文化祭で披露した書道パフォーマンスを見て、書道部の中にエイターがいるに違いない!と思って探してくれたのだという。それを聞いたとき、関ジャニ∞の力ってすごい!って感激した。そんな経験、それまでの私にはなかったから。それだけの原動力が関ジャニ∞にはあるんだ、という衝撃の瞬間でもあった。その子とは高校卒業以来会っていないけど、あの時話しかけてくれたことは今でも大切な思い出だ。
それから一年後、初めて出来た大学の友達も関ジャニ∞がきっかけだった。というのも、大学入試の日、関ジャニ∞関連のグッズを持っている子がいたのだ。流石に入試の日には話しかけられなかったけれど、なぜだかそのことをとても鮮明に覚えていた。そして入学後に、同じゼミにその子がいるのに気がついた。それで、勝手に「運命かも!」と思うくらい嬉しくなったのを覚えている。その子とは今でも仲良くさせてもらっている。
他にも、同級生のお母さん、別の趣味で知り合ったお姉さん、英会話伝言ゲームで日本語を勉強したという留学生など、とにかく意外なところでたくさんのエイターと出会った。そのたびに関ジャニ∞の持つ引力の凄まじさを実感したし、エイターはエイター同士ひかれあうんだな……ってしみじみ思った。
高校二年生の冬に関ジャニ∞を好きになってから、もう五年以上が経つ。
初めてライブDVDを見た日のこと、初めてアルバムを買った日のこと、初めてシングルを買った日のこと、初めてライブに行った日のこと……上げればキリがないくらいの思い出が、この五年間にはある。
それと同時にこの五年間は、関ジャニ∞を通した意外な巡り合わせに驚いてばかりの五年間だったようにも思う。「関ジャニ∞」という名前が持つパワーはとにかく強くて、私を思いがけない人との繋がりに何度も導いてくれた。
「関ジャニ∞」のおかげで繋がった人がいて、その出会いの積み重ねが私という人間を構成する要素のひとつになっていると断言出来る。なんというか、「好きの常態化」って感じだ。
そんな、特別な思い入れがある「関ジャニ∞」という名前が変わることは、正直なところとても寂しい。
ずっとこのままでいて欲しい。いくら前向きに考えようと思っても、どうしたって寂しいという気持ちに嘘はつけない。そう思うことは仕方のないことだし、無理して前を向くことが最適ではない。
それに、その寂しいという感情こそが、私から関ジャニ∞への愛の裏付けでもあると私は知っている。
関ジャニ∞のおかげで出来た経験があって、関ジャニ∞のおかげで出会えた人がいる。そういう、私の中に積み重なっている経験とか、広がった繋がりとか、そういうものすべてひっくるめて「関ジャニ∞」なんだと思う。というかそう思うようにしている。色んなものが変わっていくけど、私の中に蓄積された思い出たちは不可侵だから。
これまでの「関ジャニ∞」の軌跡に感謝を、そして、新しい名前に最大限の祝福を贈る。それが私の出来る精一杯だ。
これまでもこれからも、関ジャニ∞のことが大好き。
傷だらけの僕らの物語
2020年末に書いたものをいまさら掲載してみます。
2020年になって間無しくらいの頃だったろうか。関ジャニのメンバーがホストを務める番組の1つ、そのVTRの中で、かつて関ジャニを応援していた女性が取材されたことが少し話題になった。あまり良くない意味で。その女性は元エイターで、今は別のグループを応援しているとのことだった。私は担降りや掛け持ちには特に負の感情を抱いていないので(というか他人がどんな応援の仕方をしようが本人に迷惑をかけさえしなければ私にはどうでもいい)、ふーんとしか思わなかった。本人が見るVTRなんだからもうちょっと考えた方がよかったんじゃないのかな、とは一瞬思ったけれど。
でも、その女性を批判する声が次々に上がっていることを程なくして知る。それは、「本人が見ると知っている取材で、敢えて下げるような理由で降りたことを伝えたから」だけではなくて、ただ単に「降りたこと自体」を批判する声もいくらか、それも少数ではない数が存在しているようだった。
私は、唖然としてしまった。
降りただけで、こんなに叩かれてしまうのか、と。正直、少しだけゾッとした。
私はこの時、「私たちの自担から降りるなんて許せない!」という全体的なムーブに対して明らかな不快感を抱いておきながら、「全く気持ちがわからない」とは思わなかった。というか、痛いほどに理解出来た。
もう一度言うが、私は担降りや掛け持ちを悪いことだとは思っていない。
なぜなら私は元々、あらゆるジャンルに、あらゆる界隈に、あらゆる作品にあっちゃこっちゃと推しを作っては侍らしてる(言い方)ようなオタクだから。
それなのにこの時期私は、珍しく「私は、関ジャニ以外に推しを作りません!」ってド真面目に思い詰めていたように思う。
当時の私は、「自分は他のグループを応援してはいけない」と本気で思っていた。他のグループを応援することは、関ジャニを裏切る行為であるような気がしていたからだ。ただのファンが何言ってんだと思う。だけどそれが笑えないくらいには、あの時の関ジャニのオタクたちはみんな疲弊していたように思う。その理由は今更腰を据えて説明する必要もないと思うけど、端的に言うなら、関ジャニ∞の体制がたった2年で目まぐるしく変わったからだ。
みんなで一致団結して、この未曾有の危機を乗り越える必要がある。そのためには、とにかく関ジャニだけを応援して、5人に安心してもらわなきゃいけない。そんな薄らとした連帯感があったような気がする。私のただの気のせい、じゃないと思う。
別にその連帯感を悪く言いたいわけじゃない。ただ、そのそこはかとない連帯感は生温かくて心地よくて、でもいつかは溺れ死んでしまうんじゃないかっていう息苦しさも、少しだけあった。今だから言えるんだけど。
他人が掛け持ちすること自体は何とも思わない反面、自分は絶対に掛け持ちをしてはいけない、って本気で思いながら、切羽詰まって死に物狂いで応援していたような、そんな気がする。そして当時の私はそれに嫌々従っていたとかではくて、むしろ「掛け持ちなんてしない」というのが、ファンである上での重要なアイデンティティのひとつであるかのように感じていた。何だかそれは、今思えば異常事態だったと思う。
「気がする」とか「思う」とかいう曖昧な言い方をするのは、あの時の私は、私であって私でなかったような気がしているからだ。その証拠に、あれだけ必死になって応援していたはずなのに、あの半年間のことはなんだかぼんやりとしか思い出せない。
さっきも言ったけれど、そもそも私はコンテンツを問わず推しが多い人間で、色々な作品、色々なジャンルに推しがいるのが当たり前だった。それなのにあの時は、「他のグループや他のジャンルに目移りしちゃいけない」みたいな決まりを作って、自分で自分の趣味活動をガンガン狭めていた。物心ついた頃から推しがいたような気がする(それは言い過ぎだけど)生来オタク気質の私としては、自分で自分のオタ活を窮屈にするような真似は、ほとんど初めてだった。一種の病気みたいなものだったのかもしれない。このマインドを他人に強要しなかっただけまだマシだったと思う。
そんな私の中での異常事態と並行して、某新型感染症の影響で生活が一変した。関ジャニももれなくその影響を被って、ライブも番組の収録も、満足に行うことが出来なくなった。私も、ご縁あって丸山さんの舞台『パラダイス』のチケットを手にしていたんだけど、それも全部先が見えないことになった。思っていた2020年とは全然違っていて、いつ終わりが来るんだか先の見えない世界は、「なんとかなるでしょ」と楽観し続けることも難しくさせた。
そんなコロナ禍で、ひたすら走り続けてきた関ジャニは1度、足を止めた。
足を、止めてくれた。
そんなふうにさえ思った。
関ジャニが「まだ売れたい」「まだ立ち止まれない」と言っているうちは私も振り返ってる場合じゃない!と思って必死に食らいついていたけれど、どこか息切れしていた自分がいたのかもしれない。
それまで関ジャニを応援していて、「イヤだな」とか「苦しいな」とか思ったことはほとんど無かったけど(無いとは言わない)、「置いていかれてる」と思うことは、正直あった。
そりゃアイドルなんだから、そもそもが私と一緒に併走してくれるような存在じゃないし、私はただのオーディエンスに過ぎない。
アイドルだって仕事なんだから、言えること言えないことあるに決まってる。
でも、本当は無理してるんじゃないの?っていう心配はいつも絶えなくて、俺らについてこい!と言ってがむしゃらに走る背中に、ただただ着いていくことしか出来なかった。すごく遠い存在だな、とも思っていた。いや、アイドルだから当たり前なんですけどね!
そんな関ジャニが、(ほぼ強制的にではあるが)ようやく足を止めてくれた。
正直に言う。
すごくほっとした。いつまでこのひとたち走り続けるんだ?って結構本気で心配してた私にとって(本人たちにとって不本意であることは重々承知した上で)、突然訪れた関ジャニの休息時間は、本当にありがたいと思った。
もちろんコロナには憤りの気持ちの方が強いんだけど、それはもう間違いないんだけど、でも、あの時無理にでも5人のガムシャラマラソンに休憩スポットを作ってくれたことだけは感謝してる。本当それだけですけどね!!
あの自粛期間、私は5人からたくさんの愛を貰った。それはもうたくさん、たっくさん。
いやもうこんなにいらないよ!もう持てないってば!逆にどうやってお返ししたらいいの?一生かけても返し切れないんじゃないの?そう思うくらい、重くて大きくてたくさんの愛を、関ジャニから受け取った。おはようからおやすみまで寄り添ってくれたり、一緒に歌を作ろうなんて言ってギターを持ち出してくれたり、リモート飲み会に招待してくれたり(?)。
関ジャニから愛されていると実感するたび、心の欠けた部分が少しずつ癒えていって、5人からの愛を取り零すことなく受け取ろうと精神が働いた。
ほぼ半年振りに、関ジャニに対する気持ちが外側ではなく、内側に向いた気がした。
ひとことで言うなら、関ジャニからの愛が私の体内で飽和した。
これ以上ないという程に、5人の愛だけでパンパンに心が満たされた。
着いてこい!って言われてる時は、もちろんそれはそれで楽しかったけど、その瞬間瞬間にメンバーひとりひとりがどんな表情してるかなんて、わかりっこなかった。それが今は、一緒に歩こう、って言ってもらってる気がする。
前みたいにガンガン突き進んでいこうぜ!みたいな行け行けドンドン精神ではなくて、一歩一歩踏み締めるような歩き方に変わったような。それでいて、5人の心の中で燃え続ける情熱は赤よりも熱く、青白い炎のようにめらめらと燃え滾っているようにも見える。
時には走ることもつまづくこともあるかもしれないけど、それも全部一緒にやりたい。やってくれる?って、そうやって歩み寄って、寄り添って、愛を確認しあって、足並み揃えるための期間が、この2020年だったのかもしれない。お互い愛し合ってることは何となく空気で感じていたけれど言葉にはしなかった恋人たちが、あえて本音を言葉にして伝えて愛を確かめ合うような、そんな時間が。
現金な話だと思うけど、ゆっくり関ジャニと語らう時間があったおかげで、過去の映像を見て心がチクッとしたり、心無い言葉に動揺したり、これからどう応援していけばいいんだろうなんて深刻にな悩んだりすることが、不思議なくらい、パタッと止んだ。
あの停滞期間で私は飽和するほどの愛を受け取り、自分って推しから愛されてるんだ!という自信をもりもり育んで、「他のグループに目移りしないことがファンとしてのアイデンティティ」なんていう状態から、するりと抜け出した。
関ジャニを、関ジャニだけを愛していなきゃ、なんて思い詰めていた状態から抜け出して、驚くほど心が楽になった。
そこからの復活は早かった。
興味があったグループや楽曲に積極的に触れるようになって、なんだかジャニーズという概念そのものも以前より深く愛せるようになったと思う。
エンタメにお金を使えることは、なんて幸せなことなんだろうと思えるようになった。
とんでもないことや初めてのばかりで、傷ついたり、途方に暮れたりした1年だったけど。
でもあの停滞期間があったことで、私はより関ジャニを好きになれたし、そのおかげで他の魅力的な人たちを愛することが出来るくらい、心に余裕ができた1年でもあった。
エンタメに助けられ続けた1年でもあった。
自軍は逆境に強い人たちなんだと実感したし、だからこそこれからはもっと愛されて、報われて、柔らかくてあったかい場所で生きて欲しいとも思う1年だった。
そして、これからもっともっと輝いて欲しいと思える星に出会えた1年でもあった。
散々だったことは変わらないけど、それでもみんな、楽しみや幸せや希望を見つけて生きようとしていたって意味で、きっと意味ある1年だったよね。
来年はもっと笑顔で満ちた一年になりますように。
終わんないでTonight!
幸せすぎてはっきりとは思い出せないくらい楽しかった18周年が、惜しまれつつも見事に幕を閉じた。
2022年は、関ジャニ∞っていう営みが好きだな〜と思わされた一年だった。ちょうど一年前の8BEAT神戸公演で「私ってエイトのことこんなに好きだったんだ」と思い、夏の日産スタジアムで「やっぱりエイトのことが大好き!」と思い、冬のドームツアーで「今までで1番エイトのことが愛おしい!」って思った。本当に幸福な1年だった。
エイトの現場は18祭ドームから声出し解禁になったわけだけど、初めてこの報に触れた時、飛び上がりそうなほどに嬉しかった。
私がエイトを好きになったのは2018年だけど、ライブに初めて入ったのは2022年になってから。だから声援なしの現場が当たり前になっていて、むしろ声援ありのライブに入る想像ができなかった。でも実際に声出しが解禁されると、もう声出し不可の現場には戻れない!って思うくらい、声援アリのライブの虜になっちゃった。安田さんの「愛してるー?」に「愛してるー!」って返せたのも、ワンツー・ウー!ってやっと言えたのも、本当に幸せだった。普通、生きてて「愛してる」って声の限り叫ぶ機会なんてないでしょ? それも、世界一愛してる人たちに向かってだよ。いつかまるちゃんにも「愛してる」って言いたい、言わせて欲しい。喉から血ぃ出てても叫ぶからね。
そして何よりも、ずっとずっと「勝手に仕上がれ」でコーレスしたいと思ってた夢がやっと叶った。これが私本当に嬉しくて、名古屋では感極まってほとんど泣きながらレスポンスしてた(怖)。
私はエイトの曲の中で「勝手に仕上がれ」が1番好きだ。いつかこの曲でエイトに声援を送りたいという夢があったから頑張れた日が何度もあったし、この曲を聞いて何度も背中を押されてきたと思う。しんどい時、色んなことが嫌になった時、逃げたい時、自分を励ますように何度だって聞いてきた曲だった。
どうしてこんなに「勝手に仕上がれ」が好きになったんだっけと思い返してみたんだけど、多分ルーツは十五祭にあるように思う。
初めて聞いたのはエイトを好きになって間無しの頃、元気が出るCDを買った時だったけど、その時は普通にいい曲だな〜くらいにしか思ってなかった。同じアルバムに入ってる曲だと「WASABI」とかの方が断然好きだったし。
でも十五祭の円盤が発売されて、しばらくは見る勇気が出ないまま寝かせて、発売から半年(!)経ってようやく見て、それで、電撃が走るように「勝手に仕上がれ」を好きになった。
だって、あまりにも壮絶で、綺麗だと思ったから。思い思いの色で振られる5万人のペンラ、熱気に満ちた5万人の声、メンバーもこれが終わったらみんな倒れちゃうんじゃないかと思うくらい必死で、それが凄く綺麗だった。
「勝手に仕上がれ」は音源だけで聞いても名曲だけど、やっぱりライブ映像で見てこその一曲で、エイトの声にお客さんの声が乗っかって初めて真髄を発揮する曲なんだと気がついてから、この曲が自分の中で特別な存在に変わった。それで、福岡に参戦する日の前日、予習も兼ねて十五祭の「勝手に仕上がれ」を見た。明日この曲でコーレス出来るかな〜って想像しながら見てたら、いつの間にか布団の中で号泣してた。情緒やば。エイトのオタクになってから何度経験しても新鮮に驚くんだけど、人間って幸せ過ぎて涙でることあるんだね。
そして福岡参戦当日。
バンドパートになって、横山さんが「やっとあの曲で声出せ!って言えるようになりましたね(大意)」って言った時、直感的に、仕上がれだ!仕上がれが来るぞ!と思って緊張のあまり同行者の服をわし掴んだことを覚えてる。ちなみにそのあと演奏されたのはズッコケ男道でした。今後私の直感は一切信用しないでください。
ズッコケ男道が終わって、(流れは忘れたけど)何度ともなく聞いたあのギターのフレーズが流れた時、とうとう来た!と思った。世界一大好きな前奏、村上さんが「声出せー!」みたいなことを言って(まじで覚えてない)、世界一かっこいいまるちゃんのベースが聞こえて、そして。
K!A!って音が自分の喉から出た時。嬉し過ぎて心臓吐くかと思った。
5人の輝き、観客の熱量、感情の昂り、うねり、そういったものがひとつの形に集約されて放たれた、もっとも美しい音の1つだと思った。もしもこの世からいなくなりたいと思うことがあれば、私は絶対この瞬間を思い出すんだろう。今この瞬間を閉じ込めて、未来の私にプレゼントしてやりたいなと思った。
私はあの時、一度は永遠なんてないと気がついた関ジャニ∞っていう存在に、もう一度永遠を見たんだと思う。
冬の18祭に参戦して、アイドルを応援するって行為は、永遠を夢見るということと同じなんだとつくづく思わされた。オタクたちはさ、今が永遠に続けばいいと思う瞬間を何度も何度も繰り返して、その永遠であって欲しい瞬間のかたまりとしてアイドルを見ているんだろうな。
だからこそ、本来は虚像側であるはずのエイトが「終わんないでTonight」と叫ぶこの曲が、どうしようもなく私には愛おしく尊く思われる。この瞬間が永遠だったらいいのにって思ってるのは私だけじゃないんだ、エイトも今がいつまでも続けばいいって思ってるんだ。そう思えるこの歌詞は、なんて言うんだろう、劇薬的な快楽というよりも、じわじわと幸福が襲ってくる感じの中毒性がある。
上手く言える気がしないけど、ファンとアイドルという関係は、虚像と虚像を見る者という単純な対立構造ではないのかもしれない。もしかしたらなんだけど、もしかしたらファンとアイドルという関係って、「アイドル」という虚構が永遠であるようにと願う、ひとつの運命共同体に近いのかもしれない。だからこそジャニオタってなんか妙な連帯感があるし、推しのことを身内みたいに思うんじゃないか。もちろん「かもしれない」としか言えないのは、そんなおこがましいこと一介のファンが言うんじゃないよという冷静な自分がいるからなんだけど。
でも18祭に入って、私にはどうしてもそう感じられて仕方なかった。あまつさえ、5人もそう思ってくれてるんじゃないかとさえ。
だからエイトもエイターも、「関ジャニ∞」という場所を、名前を、営みを愛していて、その永続性を願っているという意味では、運命共同体って言えるのかもしれない。そうでなくても、そう勘違いしててもいいんじゃないかな。何より勘違いでもいいからそう思えたのは、今関ジャニ∞でいることが楽しいと、5人が言葉にして伝えてくれたからだ。
そしてその運命共同体的な関係の象徴が、私にとっては「勝手に仕上がれ」なんだろう。
十五祭の円盤で見た、楽しそうだけど、でもどこか腹の座ったような顔で演奏してた6人の「勝手に仕上がれ」がどうしようもなく好きで、愛おしいと思う。そして変な話だと思うけど、6人の「勝手に仕上がれ」が愛おしいと思えば思うほど、弾けんばかりに跳ね飛ぶ5人の「勝手に仕上がれ」も、うっかりすると泣いてしまいそうなくらいに好きだと心から思うんだよ。
結局私はいつだって、今のエイトが1番好きだ!って思ってきたんだな。それは内側から自然と滲み出るように思う時もあれば、言い聞かせるように思う時もあった。もう見られない曲が、会えない人がいるのは寂しいと思うことだって何度もあった。それでも「今のエイトが1番好き」って気持ちは嘘じゃなくて、いつだって心の底からそう思っていた。今も思ってる。
そしてそう思っている間、関ジャニ∞は私の中で永遠であり続ける。
君たちが明日のヒカリだ
後輩育成、プロデュース業。
正直この件に関しては、エイトのオタクである私の立場からだと、どんなに言葉を選んでも文句を言っているようにしか聞こえないだろうなと思っているし、めちゃくちゃデリケートな話題なので、あんまり触れないでおこう……って目を逸らしてきた。でも、私自身が納得してエイトを応援していくために、一度言葉にしようと思う。
だからこれはあくまで、私が自分の気持ちの整理のために書く文章です。
1.プロデュース業について、当初の思い
私がエイトを好きになったのは高校生の時だった。それまでの私はジャニーズとは本当に縁遠い女で、少年漫画とライトノベルを読みながら、毎週の大河ドラマを楽しみにしていた。
それなのに何を間違ったのか(?)関ジャニ∞に興味を持って、悪あがきをしているうちにずるずる沼に浸かっていって、部屋にはどんどんCDやDVDが溜まってゆき、あれよあれよという間にファンクラブに入ってしまった。
それはもう衝撃的な出会いだったけど、もちろん関ジャニ∞を認識したのはもっと前のことだ。初めてエイトを知ったのは小学生の時だったと思う。私と同世代の人の多くがそうだったように、当時地上波でやっていた冠番組で初めてエイトの存在を知った。別にジャニーズに興味はなかったけど、そこで太鼓の達人やってた大倉さんのことを一番覚えている。というか正直に言うと大倉さんのことしか覚えていない。お茶の間ファンとすら言えないけど、毎週欠かさず見てたくらいには好きだった。
そんな大倉さんが後輩さんたちのプロデュースをしていると知った時、最初は純粋に、「自分のお仕事もあるのに、すごい!」と思ってた。アイドルについてほとんど無知だったから詳しいことは分からないけど、大倉さんや横山さんがやりたくてやってるなら応援したいと思ったし、別に疑問も抱かなかった。
ずっとそういう気持ちでいられたらよかったんだけど、色んな人の意見を目にしたり、プロデューサー業を全面に出した映像を目にしたりするうちに、言葉にできないモヤモヤがみぞおちに溜まっていくような感覚を覚え出した。
一番悲しかったのは、後輩さんたちに悪いことがあれば「プロデューサーの大倉くんのせい」という言葉を見かけた時。その時の私はジュニアを応援する人の気持ちなんて考えられなくて、後輩さんたちに良いことがあっても大倉さんを褒める声なんてほとんどないじゃん、そんな都合の良いことある?って思ってた。
もちろん、今はそんなふうに腹が立ったり悲観的になったりすることはない。大抵の場合、悪意ある言葉のほうが目立つものだし、当時の私が単に世間知らずだっただけだと思う。オタクの悲喜こもごもが濁流のように流れていくのがTwitterという場所であって、マイナスな意見だけを取り沙汰しても意味がない。オタク同士で争うとか本当に無益だから。
でももう時効かなと思って言うけど、あの時は、「文句があるなら、私たちの大倉さんを返してよ!」って思ってた。本当に本気で思ってた。言葉にするとめちゃくちゃ自己中心的で最低な言葉だな〜。この言葉に込められてるのって、「悲しい」でもあり「腹が立つ」でもあり、「寂しい」でもある。だって私が知ってる大倉さんは、関ジュのプロデューサーじゃなくて、エイトの末っ子の大倉さんだから。私は丸山担だけど当たり前みたいにメンバー全員が好きなので、なんて言うかメンバーは身内みたいな感覚でいる。だから、私の身内に何言っちゃってくれてんの? みたいな。いやもう、このへんのモヤモヤは言葉にすると急に悪意の輪郭がはっきりしてしまうので、あんまり言葉にしたくない。したくないけど、でも私はあの時、確かに嫌悪感を抱いたし、それを見なかったふりしてちゃ解決しないよね、とも思う。
2.18祭で感じたこと
まず私の視野は、当たり前だけど基本的にエイトを中心としている。だから出来るだけ5人を長く見ていたいし、5人が話題になると嬉しい。そしてここには明らかに「他のグループに比べて」っていう見えない枕詞がつくと思う。同じ関西グループと言えど他グループであることに変わりはないし、「関西」という色にエモさを全く感じないという訳ではないけど、まるっと愛せるほど懐が深い訳でもない。私の視界の中心にはエイトがいて、そこは絶対領域であり、周縁人物との間には越えられない壁が存在している。
でもおそらくエイトは、自身を「関西ジャニーズ」という総体の中に置いている時がある(ような気がする)。そうすると私の視界の中心にも、エイト以外の人たちがぽーんとやってくることがある。それは私サイドからすると、自分の中の越えられない壁が外側から突然壊されて、よく知らない周縁人物が不可侵領域に入ってきた!という緊急事態に当たる。だから普通にびっくりするし、警戒するし、てか誰?って思ってしまう。
だけど何のことはない、突然現れたように見えた彼らは、私の中心にいた人たちが壁の内側に招き入れた存在であって、突然やって来た侵略者ではなかったのだ。
……という理屈はもちろんわかってるんだよね。
当たり前の大前提として、後輩さんたちは何にも悪くない(勝手に騒いでるオタクが良くないんだ)。そんなことはもちろん理解していて、でも何だかすっきりしないから困っているんだ。
やっぱり私はエイト中心にしか見られないから、どうしても、後輩たちがエイトの活躍の場に侵出してきているように感じてしまう(はっきり言えば「奪われた」と感じることもあった、ごめん)。
自分たちが売れることだけを考えてるわけじゃないんだろうな、と感じることもあるし、その変化に対して素直に寂しいと思ってしまう自分もいる。わがままだって分かってるけどエイトには出来るだけ長く活動して欲しいし、そのためにはどうしても他と比較して高い数字が必要な時があると思うから。数字が全てじゃないことは踏まえた上で、それでも必要な時ってあると思う。
ここまでは、18祭に行くまでに感じていたこと。
そしてここからは、18祭に行って考えたこと。
結論から言うと、私は18祭に行って、後輩育成に力を入れる意味ってこういうことなのかな、って自分なりに落とし所を見つけられた。と思ってる。
18祭では、後輩の子たちがメインで踊る時間があったり、5人のトロッコの上に後輩の子が乗る時間もあった。それについては賛否両論あるんだろうけど、私は意外にも、納得の気持ちの方が大きかった。ああなるほど、後輩の育成っていうのは一方的な奉仕を意味するんじゃなくて、むしろ循環に近いのか、って。
(5人が歌ってる時にスクリーンのどこ見ても後輩さんしか映ってなかった問題は、さすがに何で!?!?ってなっちゃったけど……それはまた別問題だと思うので、一旦端に避けておきます)
エイトが視界の中心にある私からすると、エイトが一方的に後輩さんたちに尽くしているように見えてしまいがちなんだけど、実はそうでもないんだな、ということにやっと気づいたのだ。
例えば、後輩さんたちにとってエイトの現場でのパフォーマンスは新規のファンを増やす機会でもあると思うんだけど、私はずっとそれを、エイトのオタクの流出であるかのように捉えていた。後輩グループが可愛いことや魅力的なことは分かってるけど、それを前面に押し出されて、私はどうしたらいの?後輩グループを好きになって、エイトを離れちゃってもいいってこと?って思ってた(めんどくさい彼女か?)。
今にしてみれば、何でそんなに視界が狭くなっていたんだろう……と不思議に思う。だって、後輩さんたちをきっかけにエイトに興味を持ってくれたファンだってそれなりにいるはずなのに、それには全く目を向けてこなかったんだから。
つまりエイトが自分たちの現場に後輩さんたちを出演させるのは、奉仕ではなく相互作用ということだ。
関西というプラットフォームの構築は、後輩さんたちだけでなく、エイトにとっても長期的なメリットがある。だから、お互いに還元し合える場と流れを作っている、関西ジャニーズっていうひとつの大きな文化を盛り上げようとしている。
きっと、そうしていかないと乗り越えられない波がこれから来るんだろうし、もしかしたら、今まさにぶち当たってる壁があるのかもしれない。それに立ち向かうために、つまりはエイト自身に還元されるために、後輩育成は必須のものなんだと思う。というかそう思いたい。
5人が関ジャニ∞っていうグループとそのファンを大切にしていることは、今更不安に思う必要がないくらい伝わっている。だけど、グループに対しての気持ちと同じくらい、「関西であること」に特別な誇りや思い入れを抱いてることも、凄く伝わってくる。5人にとって大切な「関西」あるいは「関西ジャニーズ」という文化がこれからも末永く受け継がれていくためには、自分たちが売れるだけじゃ駄目だ、って考えてるんだろうな。というかむしろ、エイトがこれからも売れていくために、関西ジャニーズそのものが盛り上がっていく必要がある、と見るのが妥当かもしれない。
もちろん、正直なところ私はエイトに会いたいのであって、それ以外の人を見るために遠征してるわけじゃない。だから、ワガママだとは分かっていても、出来るだけ長くエイトを見ていたいな〜と思う。思ってしまう。そこを否定されたら、私がオタクやってる理由とは?ってなっちゃうから…………
だけど、そう感じる人がいることは把握していてもなお、そうしようと決めたのはきっとエイト自身なんだろう。そして、5人の総意で舵を切ったのなら、きっとそれがエイトにとっての最適解なんだろう。だったら、私はそれを見届けようと思うし、どうか正解になりますようにと祈ることしか出来ない。
3.クロ現を見て考えたこと
2ヶ月くらい前、大倉さんがアイドル兼プロデューサーとしてクローズアップ現代に出演していた。私、実はこの特集見るの凄く怖かった。プロデューサーとしての大倉さんを見て、がっかりしたり寂しくなったりしたら嫌だなと思っていたから。性根がオタクなので、推しのやることは可能な限り否定せずに応援していたい。でも夢は見ていたいので、裏方に回る推しの姿を見て、あることないこと想像して曇りたくもない。そういう葛藤があって、放送日までどこか心の隅っこに不安な気持ちがあった。
いざ視聴してみると、やっぱり平静ではいられなかったし、なんなら夜中に号泣した。
でも思ってたのと違って、寂しいとか悲しいとかの涙ではなかった。多分あれは「悔しい」に近かった。私はいつもエイトに一方的に助けられてばかりで、希望与えて貰ってばかりで、苦しい時には寄り添えなくて、どうしても無力だなって思って、それが悔しくて泣いてしまった。
8BEATの感想を綴ったブログで似たようなこと書いてたので、引用してみる。
「私は、関ジャニ∞さんが裏でしんどい思いしてるのを知らないまま楽しいことだけ共有させてもらうんじゃなくて、何年か経ったときに、あの時しんどかったね辛かったねって一緒に言い合いたいし、関ジャニ∞さんもそう思ってくれてるのかなあって、この公演を通して思った。」
(2022.5.17「絶望にへそ曲げて」)
ここで言ってることは全く本心だし、偽りない気持ちだし、今もそう思ってる。でもやっぱり、「あの時しんどかったね辛かったねって一緒に言い合いたい」というのは私のエゴだ。「推しのため」ではない。だって私はただのファンだから、アイドルの苦しみに一緒に立ち向かっているようでいて、その実いつだって彼らが本当に苦しい瞬間を真に支えることは出来ない。
推しの苦しみを知り、共に立ち向かったような気になれるのは、彼らがその苦しみを乗り越えた後、こちらに見せられる形に整えてお膳立てしてくれるからなんだよね。ファンって無力だ。しかも無力であるならまだしも、ファンの存在自体が推しを苦しめてることだってある。現に私は、彼らが目の前の壁を乗り越えようとして取り組んだプロデュース業にさえ、事情を知らないからあることないこと想像して、勝手に傷付いて、素直に応援することができなかった。5人はいつだってファンのことを第一に考えてくれているのに。アイドルとしての姿も、プロデューサーとしての姿も、どちらも「ファンのため」という気持ちが底にあるのなら、そのふたつに何の違いがあると言えるだろう。
4.現在の落とし所
なんか色々書いてきたけど、要はただ信じて応援することしか出来ないと思った、それだけだ。
これは一般論じゃない。私がうだうだ考えた末の落とし所だから、他の人もそう考えるべきだなんて1ミリも思わないし、他のグループに対しても同じように思えるかは微妙なところだ。盲目になってるだけかもしれないし、思考停止してるだけかもしれない。別に何も解決してないし、やっぱり違うと感じて、また向き合い方を変えることもあるかもしれない。
それでも今は、ただただ見届けたいなと思った。
アイドルとしての姿もプロデューサーとしての姿も、もちろんそれ以外のどんな姿でも。5人が見せたいと思った姿なら、ただ見届けたいと思う。それが良いとか悪いとかではない。別に「推しのため」とかでもない。私は私のために、エイトがやりたいことをこれからもやっていけるように、その姿を見届けようと思う。
今夜の花火終わるまで
【日産7/16(土)】
席:ステージ向かって左、スタンド2階上段
十五祭は参戦できなかったので、周年ライブに行くのは今回が初めて。
ひとことで表すなら、「ライブ見ながらライブ見たいって思わせるフェス」って感じだった。
目の前のステージを楽しむかたわら、今すぐ十祭見て大倉さんの演出を考察したいってずっと思ってました。エイトのオタクによる良質な十祭の翻案って感じだったな、18祭…………十祭はコント暗唱出来るくらい繰り返し見た円盤だから、それをなぞる形で18周年祝ってくれて嬉しかった。
ひたすら楽しすぎてあんまりよく覚えてないんだけど、大倉さんって筋金入りのジャニオタなんだなぁと思ったことだけはしかと覚えてる。
なにせ大倉さんの組むセトリ何もかも「分かり過ぎてる」んだもの、彼は信頼できるジャニーズのオタクです。日テレのメドレーで初心LOVEもシンデレラガールもチャンカパーナも無かったことにがっかりした民だから、大倉さんの組むジャニーズメドレーは本当に需要を理解していらっしゃるな……と。十五祭の時も良いセトリだな〜〜〜って感動したの思い出した。受験期ど真ん中に無理くり時間割いて見た十五祭が良すぎたんだけど、現場ハイを差し引いても18祭はそれ超えてきたなと感じます。この曲いまいち盛り上がれないな〜みたいな瞬間がなくて感心しちゃった。オタクが見たいやつ全部見せてくれたって感じ。
エイトレンジャーもキャンジャニちゃんも見られたの本当に嬉し過ぎてハイになってたので記憶は定かじゃないんだけど、丸子ちゃんが世界一可愛かったことは覚えてますね。(丸山さんって何であんなにお可愛らしいんだろう、顔立ちはギリシャ彫刻のような美しさなのに)
顔の横に掌を当ててぶりっ子してる丸子ちゃん、超可愛かったな…………今度チェキ撮らせて欲しい。なお、今後メンバーでもないのに軽率に「丸子ブス」って言った方は裁きを受けます。可哀想に。
8ESTのユニットメドレー後にみんなバラバラの衣装であおっぱな歌うパートがあるんだけど、あれオールスター感があってめちゃくちゃ好きなんです。今回はジャニーズメドレーでそれが見られて、本当に嬉しかったな。
それから踊songの1位、ここでやっぱりブリュレでした〜だったら面白すぎるなと思いながら見てたんだけど、案の定マーメイドでしたね。横山さん、オタクの気持ちをわかり過ぎている。私もマーメイドに投票しましたもん。
でも私が喉から手が出るほど見たかったBrilliantBlueとtrain in the rain とフロマリは見られなかったんだよ、何でよ…………(喉から手が出るほど見たいものが多過ぎる)
それから、6人時代から好きになった人間なので、「ここに」を演奏してくれたの本当に嬉しかったし、唯一ここで泣いちゃった。良いグループだな、って改めて思う。バンドのエイト見ると泣いちゃうのは、ほぼ条件反射ですね。まだ1度もライブで声出したことないので、早く歓声あげられるようになって、勝手に仕上がれで大合唱したいな。
あと村上さんの歌声が本当に凄かった。喉から音源どころか音源超えてきた。All is wellの最後を地声で堂々と歌い上げたの、鳥肌立っちゃったもの、それを受けた7万人が自発的に長い長い拍手し始めたの凄かったな。これがずっと鳴り止まなければいいのにと思った。あれはきっと曲が終わるからではなくて、村上さんへの賞賛の拍手だったよね。7万人の気持ちがひとつになってた確信がある。
本当に最高のグループを推してるな、もう心臓に「関ジャニ∞命」って刻みたいよマジで…………
前回の席(8BEAT)がアリーナ花道2列目で、何なら丸山さんの汗見えちゃうくらいの距離にいたんだけど、その分緊張し過ぎてなにも覚えてないんですよね。だから今回はスタンド席でいられてよかった〜〜!!!って思いました。天井席でも寂しくないライブを作ってくれてありがとう。本当に。
ご存知の通りの拗らせなので、8BEATでは生きて動いてる丸山さんを目の前にしただけで茫然自失になってしまい、「楽しい」とかいう気持ちを抱くこともなく、神話を目の当たりにした人間のように空っぽになって家帰ったんだけど、今回は笑っちゃうくらい席離れてたから逆に楽しめたんだと思う。推しは遠きにありて思うものなんだなって改めて思いました。
横山さんがカラーグラス付けてたのも本当に痺れたな〜、色つきサングラス付けてることに対して不満を言う方たちへの高笑いが聞こえるようだった。「かけたい時にかけるが?」って感じ。あと横山さんがSexy Rose言う時の衣装があまりにもLove革命だったから、え!?横・革命来る!?!?てこと!?!?って思ったけど、全然違いました。私は十祭の「エビバディセイ!命懸け!」を聞いて丸山さんのこと好きになったので…………(丸山担の自覚が芽生えたのはもっと後だけど)
改めて、5人でスタジアム埋めるの凄くない……?って何回も思った。私たちファンはお金を払うことしか出来ないし、むしろファンの存在がエイトを苦しめてる事もきっとあっただろうけど、フルキャパで埋まるスタジアムで涙を浮かべる横山さん見てたら、少しは役に立ててるのかなって思っちゃった。私は丸山さんのオタクなんだけど、でも心のどこかで、「関ジャニ∞とは横山さんのことだ」と思ってる節があるんだろうな。上手く言えないけど。
横山さんに限った話じゃないけど、ファン以上にメンバーのこと愛してる人がいるグループを好きになれたのは、本当に幸福なことだと思う。
あと最後!
野外だから21時きっかりに終わらなきゃいけないらしくて、過去一爆速で「最強で最高の関ジャニ∞!」してたの心底笑っちゃった。いつも最後までファンサしてる丸山さんがパーン!もせずに慌てて捌けていくの見て、マジで時間押してるんだ……って思った。しんみりするの苦手なので、余韻ゼロで終わってくれたの本当にありがたいな。正直どこが押してたのか分からないくらいあっという間だったから、単純に曲数が多過ぎたのかな。3時間でも足りないライブ作ってくれる四十路アイドル、何? 愛(ラブ)溢れる。
今回は大倉さんが元気に立ってる姿が見られたらいいなと思って参戦したけど、まだきっと本調子じゃないところは多々あったと思う。それでもオタクとしては、関ジャニ∞の末っ子してる大倉さんが見られただけで本当に嬉しかったし、安心した。もしもメンバーの体調に異変があれば、悪化する前に気軽に休めるように、ファンもゆるやかに構えていたいですね。簡単なことではないけれど、今のエイトに合った歩調というのがきっとあるはずなので、5人(とオタクたち)が、それぞれ無理ないペースで過ごせたらいいよね。
以上、1日空けて湧いてきた感想をとりとめもなくまとめてみました〜本当に最高のフェスだった…………
どうか、来週も無事に開催できますように!
あなた自身を愛してくれ!
バンドやってるエイトさん見てると、意味もなく涙が出てくるんですよね。ほぼ条件反射です。
その原因はここ数年の事もあるだろうけど、それだけじゃなくて。バンドやってる時の5人が本当に輝いてて、カッコよくて、美しいからだと思います。
世界中には美しいものが溢れるほどにあって、人生百年時代といえど、その全てを死ぬまでに見られるかどうかは分かりません。たぶん見られないもののほうが多いでしょうね。
人生の中で出会える美しいものたちの数は限られているけれど、その中で、関ジャニ∞という美しい人たちにこうして出会えたこと、私はとても誇りに思います。
あのとき、ややもするとこわれてしまっていたのかもしれない、けれどもひたむきで懸命な煌めきに引き寄せられて。
いつの間にか「関ジャニ∞」は、私の生活の一部になっていたんだなぁと、この頃は折に触れて実感します。
そういえば「喝采」の冒頭を聞いたとき、自然と「ふりむくわけにはいかないぜ」の歌詞を思い出したのでした。
「なりたい自分に注げよ愛を
なれない自分も抱きしめたいよ
一つ笑って 一つ叶えて
あの日の僕が今日も叫ぶ」
「苦しむために生きないで
あなた自身を愛してくれ
夜風が僕に告げたんだ
渡せよ 自分にラブレターを」
なんだか妙に納得してしまったんですよね。
ああそうか、「喝采」はきっと、5人に向けたラブレターでもあるんだなって。
「ふりむくわけにはいかないぜ」を聞いたとき、いつも、エイトさんに向けてこの歌を捧げたいと思っていたんです。苦しまないで、あなた自身を愛してくれ、ってずっと言いたくて。
そしたらエイトさんたち、ちゃんとなりたい自分にも、なれなかった自分にも愛を注いでるよって、そんでもって、Age is just a Numberだって言ってくれたんです。
あの、ときおり思い出の色をした、青みがかったあったかい世界にはきっと、好きになれた自分も、なれなかった自分もいて、でもその全てを愛しているんだって。
5人は上も下も青色に包まれた世界で、私たちに向けて歌っているんだ。
青春は過ぎた頃にそうだと気づくものだと思っていたけれど、自分がまだ青いと思っているうちは、何度だって春は訪れるんだ。
私の中の「関ジャニ∞」が、人生の教科書に刻み込まれた瞬間でした。
何が好きってもう、この人たちの生き様が好きなんだなあ。
自分たちのぬいぐるみを大切に飾るのも、メンバーのことをブログや番組でさりげなく触れるのも、グループのために新しいことを始めるのも、演奏中のふとした時に優しい目をしているのも。
どれもこれも愛だ。
愛が溢れちゃってるんだな。
エイトさん、私の大好きな人たちのことを愛してくれてありがとう。
喝采、本当に美しいシングルでした!
どうかこれからも、あなた自身を愛して!