絶望にへそ曲げて

 私は3年ほど前から、関ジャニ∞丸山隆平さんのことが好きだ。

 一生懸命なところ、まじめなところ、優しいところ、王子様みたいなのにお姫様みたいなところ。テレビやDVDやFC動画など、丸山さんがメディアを通して「見せてもいい」あるいは「こう見せたい」と思って見せてくれるところの、全部が好きだ。嫌いなところはない。

 そして今でも、丸山さんの好きなところは全部把握できていない。

 

 ところで私は、関ジャニ∞のオタクになってから3年と少し、現場未経験のままだった。というかそもそも現場がなかった。

 好きになった当時はまだ高校生で、しかも受験を控えていたから、夏に開催されたドームコンサートへの参戦は泣く泣く断念した。そのコンサートを最後に6人体制とはお別れすることになったので、友達に買ってきてもらったTWLタオルやボディシール、マジバンは今でも宝物だ。

(しかしジャニオタ一年生だった私は、まだジャニーズのライブがいかなるものか十分に理解しておらず、肝心のペンライトやうちわを買ってきてもらうことをすっかり忘れていたのでした。本当に悔やまれる。十五祭の八色ペンライト、絶対に欲しい。何とか手に入れたい)

 それからあれよあれよという間に47都道府県ツアー(UPDATE)の参加申し込みが始まった。ツアー詳細が発表されたのは、体育祭の真っ最中だった、ような気がする。「志望大学に合格したら関ジャニ∞のFCに入らせて欲しい」とかねてより親に嘆願していたのだけど、合格を待っていたら申し込みどころかツアー自体が終わってしまいかねない。泣き落としでどうにか許してもらって、ツアー申し込み締切日直前の土曜日、郵便局のATMに駆け込んだ。貯金していたお小遣いから約5000円、初めて使うペイジーなる機能にドキドキしながら振り込んで、晴れて私は関ジャニ∞のFC会員になったわけです。それから急いでUPDATEの申し込みを済ませた。とはいえあんな小さなキャパの公演を、入会間もない私が当てられるわけもなく。結果は当然全落ちだった。

 あんなに緊張しながら入会したのになぁなんて残念に思いつつ、地元公演が開催される頃には志望校の合格通知が届いていたので、大学生になったらもっと自由に現場に行けるはず、と案外サクッと切り替えられた。

 でも問題はここからだった。

 例の感染症の影響で、行けるはずだった現場、あったかもしれないイベントが軒並み白紙に戻ってしまったわけです。

 まず、丸山さんが主演として立つはずだった、舞台『パラダイス』。

 自名義では落選してしまったけれど、優しい方のお声がけにより、大阪公演に入れる予定だった。もし何事もなければ、あれが私にとっての初現場になるはずだった。あの当時の雑誌ラッシュ、キービジュアル公開、何もかもが新鮮で、うれしかった。正直言ってまだ根に持っている。許せない(感染症が)。

 それから、もしかしたらあったかもしれない、五人でのドームツアー。あったかもしれないことを、それなりに時間が経ってから知った。許せない(感染症が)。

 それ以外にも、たぶんもっともっと色んなイベントや現場が企画されていたことと思う。何の現場も経験できないまま、気が付いたら3年以上経っていた。3年。

 言葉にすると短いように感じるし、何年も推している人にとっては何てことない数字かもしれない。もっと長い間現場に行けなかった人もいると思う。でも、私にとっては途方もなく長い時間だった。このまま何の現場にも行けないまま社会人になるのかしらとか、一度も現場に入れないまま関ジャニ∞への気持ちが冷めてしまったらどうしようとか、色んなことを考えた。

 だから、8BEATの当選メールが来た時は、誇張じゃなくちょっと涙がでた。

 高校時代の友達に伝えると何人かは自分のことのように喜んでくれたし、家族も「おめでとう」と言ってくれた。母なんかちょっと泣きそうだった。嫁に行くんか私は。

 

 初めてのライブ参戦は、思った以上にやることがたくさんあった。

 同行する友人と日帰りにするか一泊するか話し合って、高速バスと新幹線のチケットを購入。感染症のこともあるから、ワクチン接種券も念のため用意した(結局使わなかったけど)。初めてうちわも作った。何着ていこう、どんな髪型にしようって悩んだ。年が明けてからは外出も控えて、万全な体調で挑めるようにものすごく気を遣った。

 でも正直なところ、前日になっても当日になっても、全然実感が湧かなかった。

 朝早起きしてお化粧している間も、高速バスに揺られてる間も、現地に到着して時間を潰している間も、「もしかしたら全部夢なんじゃないかな」ってずっと思ってた。だって、好きになってから現場がない期間が長すぎたんだもの。会場に着いても、関ジャニ∞って本当に実在してるのかな……?と半信半疑だった。今更すぎ。

 発券されたチケットの「アリーナ席」って印刷も信じられなくて、何回も何回も確認した。席についたらもっとびっくりした。なんだこれ近っ。こんな近いの?こんなに近いと汗すら見えちゃいますけど。

 開演までの時間、隣に座っていた奥様とお話させていただいたり、友人が参戦した時の話を聞かせてもらったりしたけれど、それでもやっぱり実感が湧かなかった。関ジャニのライブはDVDで何度も見てきたはずなのに、目の前のステージに五人が立っているところだけは全然想像できなくて、開演5分前になっても何だかヘラヘラしていたと思う。

 会場が暗くなって、オープニング映像が始まっても頭の中はやけに冷静で、「この感じ、DVDで見たことあるやつだ」なんて思ってた。

 でも、右隣にいる友人が私の腕を掴んで「もう泣きそうなんだけど」って震える声で呟いてきたとき、私は初めて、「あ、これほんとのやつなんだ」って思った。映像が終わって、少しの緊張があった。

 そしたら、ステージが明るくなって、五人のシルエットが見えた。

 その瞬間、予備動作ゼロで涙腺が決壊した。

 自分の体じゃないみたいに勝手に涙がでてきて止まらなくて、足元から何かがせり上げてくるような気がして立っていられなくなった。

 嬉しくて泣いてるんだか、びっくりして泣いてるんだか自分でもよくわからなかった。ただ、ここ2年のこととか、好きになった時のこととか、つらい時関ジャニのおかげで頑張れたこととか、色んなことが走馬灯みたいに流れてきて、「あ、私死ぬのかな」って思った。それから、「フェイスシールドがあるから涙がぬぐえないな」って思った。たぶん、4曲目の無責任ヒーロー辺りまでずっと号泣してた。

 途中で安田さんや村上さんが近くに来てくれた気がするんだけど、ペンライトすらまともに振れなかった。何て惜しいことを。

 もちろん泣いてばかりもいられなかった。T.W.Lが始まると、3年間画面越しに熱視線注ぐだけだった、あの丸山さんが花道を通って近づいてきたものだから、緊張と動揺ですっかり涙が引っ込んだうえ、ついでに手も足も動かなくなった。

 もし丸山さんが近くを通ったら手を振ろうなんて考えていたのに、夢にまで見た丸山さんが目の前を通りすぎてゆくのを、手も振らず笑いもせず、ただただ凝視してた。何で……

 その後も何度か花道を通って丸山さんが近くを通った気がするんだけど、毎回「嘘!イヤ!来ないで!」と心の中で思ってた。情緒不安定なの?

 ちなみにこの後のことはほとんど覚えていません。私、アドレナリンが分泌されると記憶飛ばすタイプみたいです。

 でも、かろうじて記憶に残ってるシーンがふたつ。

  ひとつめは、後半戦のバンドで村上さんが「関ジャニ∞でよかったぞ」って言ってくれたこと。(言ってた……よね?)

 その言葉聞いた時、私、グレコンで村上さんが

「苦しいことは僕たちが背負うので、皆さんは楽しいことだけ考えてついて来てください」
って言ってたのを思い出した。

 私は当然現地にはいなくて、円盤で見たことしかないのだけど、当時はあれがすごく悲しくて苦しかった。もちろんあの挨拶に救われたファンもたくさんいるとは思うけど、私は、なんでそんな突き放すようなこと言うんだろう?って勝手に傷ついていた。楽しいから応援してるんじゃなくて、好きだから応援してるのにな、って。
 でも村上さん、今回の公演の挨拶では、
「辛いこともあると思うけど、これからも一緒についてきて欲しいです」
って言ってくれたんだよね。それが本当にうれしかった。
 私は、関ジャニ∞さんが裏でしんどい思いしてるのを知らないまま楽しいことだけ共有させてもらうんじゃなくて、何年か経ったときに、あの時しんどかったね辛かったねって一緒に言い合いたいし、関ジャニ∞さんもそう思ってくれてるのかなあって、この公演を通して思った。我々、本当に愛されてるわ。

 

 それからふたつめ。最後、アンコール後のはけ際に、丸山さんが客席に向けて「この景色が大好き!」って言ってくれたこと。私、リサイタルで客席に向かって「たくさんのひまわりありがとう!」って言った丸山さんを見て撃ち抜かれた丸山担だから、丸山さんってその時から今もずっと優しくてあったかいままなんだな、と思って。またしみじみ泣いた。
 FCに入って3年間一方的に片思いを拗らせていたわけだけど、私の3年間はあの2時間半のためにあったと言っても、きっと過言じゃない。

好きでいるの、諦めなくてよかった。

 もしも現場に行ったら、関ジャニのこともっと好きになるのかな、と思ってたんだけど、全然ちがったな。どちらかといえば、自分ってこんなに関ジャニのこと好きだったんだ、って再確認する時間だったように思う。これから先何かしらのライブに入ることがあっても、あの日の2時間半のことは、生涯わすれられないと思う。

 

 しかし改めて振り返ると、本当によく泣いたな。2022年分の涙は全部前借りしたんじゃないかってくらい泣いた。

 だからきっと、これから先一年間は笑って過ごせるよ。私も、みんなも、関ジャニ∞さんも。

 正直、心配と不安でいっぱいになる日もあるんだけど、私は関ジャニ∞さんと一緒に幸せになるって決めたので、いつか笑顔で会える日のために準備して待ってるよ。3年分の激重感情も抱き続ければ報われたように、今日の不安もいつかは笑い話になるって学んだからね。まずは目の前の8BEAT発売を楽しみに待つことにします。

 みんなで幸せになろうね。